何も言わないと、人は・・・。
私はなかなか思ったことを言うことが苦手です。
それでも昔に比べたらかなり言えるようにはなってきたと思っております。
環境や相手との信頼関係にかなり左右され、いかに自分が安心出来るかどうかが重要になってきます。
私は相手に対して何かしら不安や心配、怒らせてはいけないと思ったら、「相手に合わせる」という選択をします。若い頃はどうやら無意識にやっていたみたいで・・全く気が付きませんでした。
本当はその人のことが大嫌いなのに、おかしな言い方ですが何故か嫌いな人に嫌われたくなかったようで、物凄く頑張っていたなと今になって思います。
合わせるだけでなく、意味のない我慢もたくさんしていました。本当は「○○を言われるのが嫌だから止めてほしい」と思っていても、へらへら笑いながら誤魔化します。これも若い頃はそんなことに全く気が付いていませんでした。
自分の本音を言うことにかなりブレーキをかけていることが、今になってわかってきました。かけていることさえも気づいていませんでした。
本音を言うことで傷ついた経験が山ほどあり、「言いたいことがあれば言ってね」と言われた相手に対して本音を言ってねじ伏せられたことも。また「安心出来る」と思っていた人が実は安心出来る人ではなかったことや、又はそんな環境ではなかった。
*また自分の言い方にも問題があったのかもしれません。
安心を得る為に相手に合わせ、本音を言わないように常にブレーキをかけておく。
しかしそれは相手を図に乗らす結果を招く危険性も秘めてます。人にもよりますが。
「この人には何を言っても大丈夫」「この人は自分に合わせてくれて当たり前」
相手の言いなりになってしまう関係を築いていたことが数え切れないほどあったことを思いだしました。自分の主張もしないと必ず相手は下に見てくる。変に遠慮をすれば必ず相手は下に見てくる。
私の場合、自分の主張や反論をしますが、途中でそれを引っ込めてしまうことも多かったですね。自信の無さから言い切れなかったり、本音にブレーキをかけたり、険悪な空気に耐えきれなくなったり、相手に言いくるめられたことで諦めてしまいました。
却ってそれが余計に悪化させていたのでしょう。
自分が無抵抗で何も言わなければ、人は上から目線で物を言ってきてねじ伏せてきます。頭ではわかっていたことですが、身に染みて腑に落ちるまで相当長い時間がかかりました。自分の身を守る術がそれしかなかったのでしょう。
言いたいことを言うのは今でも私には難しいことに変わりはなく、抱えこんでしまいがちですが、辛かったら相手と距離を取ったり、自分の気持ちをノートに書いたり、人に話を聞いてもらったり、自分で出来ることを日々実践しております。
そして、今までスルーしてきた「嫌い!」という気持ちを大切にしてます。もちろん相手にそんなことは言いませんが、自分の気持ちに蓋をして我慢する必要もないと思ってます。
「そうなんだね、嫌いなんだね」「自分にも嫌いという気持ちがあったんだね」と優しく自分に言ってあげています。
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